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​友定睦

hiroshima, japan

​不在の証明者

NEW 

展示 2023年2月4日~4月2日 

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メモリ・メモリアル

友定睦 

ドキュメンタリー映像​ 2021

オンライン展示

Cluster オンライン展示

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不在の証明者のヴァーチャル空間

制作協力:

SpeakAir, Speak Art   Marie Chaumont

期間

​1月31日ー3月31日

ご挨拶

2021年度招聘作家、友定睦の展示はコロナ禍において完全予約制にて開催されました。

作家の丁寧なリサーチが、実った優れた展示となりましたが、社会状況により多くの方に実際訪れて頂くことが難しく、

それが非常に残念でした。良質な作品を多くの方に届けたいと考え、Speak Airを始め、多くの方のご尽力を得て、滞在、

リサーチ、展示の内容を成果報告としてまとめることが出来ました。

ご理解、ご協力いただいた全ての皆様に心より感謝を申し上げます。            

Artist Talk

 

Air motomotoでは、2021年度招聘作家・友定睦さんに荒尾・大牟田の県境を越える存在、昔から住民の記憶に刻まれている炭鉱歴史についてリサーチと展示の成果報告、アーティストの洞察から新作の映像についてオンラインでお話いただきました。

About the Artist 

TOMOSADA Mutsumi
1989   Born in Hyogo Prefecture
2014  Graduated from Hiroshima City

          University with MFA in Sculpture
In recent years, Tomosada has focused on “documentation” media such as film and photographs, sculpture to mold making and
reproduction, 3D scanning and 3D printers to create works both as an expression of and under the theme of “memory.”


Review

 

非公開で行われた友定睦 Artist Talk 参加者:ゲストキュレーター2名+当館ディレクターの作品Review

展覧会レビュー「不在の証明者」 

友定睦がmotomotoでのレジデンスを経て発表した二つの作品は、過去との向き合い方をめぐって新鮮な視座を提供している。映像や写真という記録媒体が証言する過去を、私たちはあまり疑うことをしない。だが、それだけが過去を示すすべてではないこともまた確かである。友定は記録メディアである映像という手段を、観者の感覚器官を刺激し、知覚にうったえる表現方法としても用いることで、過去へ投じる私たちの眼差しに変化をもたらしている。

 

 崩れかけたレンガ壁、錆びついたフェンス、先の暗い深いトンネル・・・。映像の中に登場する、廃墟のようなこれらの場所は、かつての日本のエネルギーと近代産業を支えた三池炭鉱跡である。世界文化遺産にも登録されているこの遺構にて、友定は、振動スピーカーを用いて坑内に「現在の音」を響き渡らせるパフォーマンスを行った。《Miike echo》はそのパフォーマンスの記録であり、また友定が呼び起こす「現在の音」とともに、音の帰属する「現在の風景」が遺構(過去)と重なり合っていくという映像作品でもある。この作品のカギは、現在という時に属しているはずの音が、過去に触れることで立ち現れてくるという点にあるだろう。坑内に響くそれらの音は、声を失った炭鉱に代わって何かを語っているようにも、あるいは、在りし日を思い出させるために炭鉱を揺さぶっているようにもとれる。それは、トンネルと電車、タンクと河口のように、どこか類似性、近似性を感じさせるモチーフ同士が重ね合わされているからかもしれない。友定がスピーカーを離した途端、音は止み、再び画面は遺構の姿となる。重ね合わされていた二つの風景は、長らく止まっていた時間や、炭鉱の奥底に眠っているかもしれない記憶に触れた感覚を、観る者にもたらすかのようだ。

 

《メモリー・メモリアル》は、一見してドキュメンタリーの感が強い。モノクロの写真がスライドショーで流れ続けているが、これは大牟田市制40年を記念して1957年に開催された「産業科学大博覧会」の記録写真である。それとともに、かつての大牟田の街について語る男性の声が流れている。これは友定が、同市の商店街に古くからある本屋「大万書店」の夫婦に行ったインタビューの音声である。博覧会の写真は、会場に詰め掛けた多くの人々、ダンスショー等の催し物、石炭産業について伝える展示物などを捕らえている。一方で店主の回想は、家族がこの地に移り住んだ経緯から始まり、炭鉱による街の繁栄、生活の様子、産業の衰退、坑内事故による悲劇などを語る。途中、この博覧会も話題となるのだが、当時少年だった店主は博覧会のことは知りながらも、家業の手伝いや家計の問題で赴くことができなかったと回顧する。筆者はこのくだりに違和感を覚えた。その違和感の正体は、冒頭から流れつづけている風景を、この人物は体験していない、見ていないというズレである。実は注意して《メモリー・メモリアル》の全体を見てみれば、視覚が受けているものと聴覚が受けているものが、ほとんど一致していない作品であることに気づくだろう。にもかかわらず私たちは、書店夫婦の話からその風景を思い浮かべ、同時に、彼らの語らない(語ることができない)博覧会の風景も見ることができている。音によって喚起される風景と、過去を証明する記録写真の風景のオーバーラップ。ここにもまた、二つの風景が重なり合わさる構造を見出すことができるのではないだろうか。

 

友定の作品が表す「重なり合う二つの風景」は、目に見える以外のものを複層的に浮かび上がらせる力がある。それは、時間、記憶、過去といった形のないものに触れる経験と言い換えてもいいだろう。映像作品が「見る」以外をもたらす、稀有な体験がここにはある。

 

IWASAKI Michiko

( Contemporary Art Museum Kumamoto, Curator )

記憶と彫刻 大牟田の炭坑夫像

 

 

最近、何かと記憶について考える機会が多い。

いま自分が働いている公園で、経年劣化が進んでおり、管理や修復の問題から撤去を検討している野外彫刻がある。

 

撤去を検討するにあたって、作品の一部を保存する、または作品の代替となる何か(作品、あるいはアーカイブ)を新たにつくる可能性について、アーティストと話し合う機会があったのだが、話すうちに、アーティストと私たちの側で残したいものにズレがあることに気付いた。

 

その野外彫刻は、公園で立ち枯れた樹齢70年の松の木を素材にした作品だった。それをどう残すのか?というシンプルな問いだが、答えはなかなか焦点を結ばない。アーティストが残したいのはその木の存在の証であり、私たちが残したいのは、野外彫刻の存在、野外彫刻とともに過ごした私たちの時間であるように思われた。

 

友定さんが出会った大牟田の炭坑夫像でいえば、それを残したいとつい願ってしまうのは、炭坑夫の像が象徴する炭坑のまちの記憶が大切だからなのか?名も知らぬ人物の像が、忘れ去られそうになりながらもまちの公園にあり続けた思い出が捨てがたいからなのか?今ではめずらしいコンクリートを素材に、指導を仰ぎながら制作に励んだであろう当時の佐賀大生たちの手の痕跡が貴重だからなのか?

 

ひとつの像を巡っていくつかの思いが複層するが、「記憶の装置」と呼ばれる彫刻にとっては、それが自然な在り様なのかもしれない。

 

友定さんは、炭坑夫像に関するリサーチと、その結果生まれてきたおもちゃのようなミニ炭坑夫像を、今回の展示作品数のなかには含めていないようだが、このリサーチ全体が友定さんと炭坑夫像との対話であり、対話を通して再生されたものは、やはり友定さんの作品なのではないかと私は思う。

 

今は使われることのない坑道に、現在の音を響かせることで、過去の時を蘇生(revive)しようとしたように、ひとつの彫刻への眼差しは、振動スピーカーの役目を果たしているようだ。“音”の存在は、確かにいまこの場が生きている証であるし、そこに現れる場は、過去そのものでも現在そのものでもない。

 

対話によって過去を読み直し、記憶を更新することができるアーティストの力をとても頼もしく感じる。

 

MIURA Rie

( Ube Tokiwa Museum, UBE Biennale Secretariat in Ube, Yamaguchi )

リサーチ同行者としての寄稿

 

 

「一定の距離を保つ。」

これは、Air motomotoのスタッフとして、友定氏の制作補助(リサーチや撮影、設置など)に同行し、感じ続けた作家のスタンスである。それが意図的なのか、元来の性質からきているのかは、分からなかったが、その冷静さが作品の説得力に影響を与えていることは、結果として明白だった。

 

傍から見て、彼と坑夫像との出会いは、タイミングを含めドラマチックに感じた。彫刻科出身の作家が、リサーチで訪れた公園で、作家名等の表記がない、全てが不明のミステリアスな野外彫刻に出会う。興味を持ち見つめていたところ、偶然通りかかった人物から、秋には撤去の予定だと教えられる。自然とどうにかしたいと義務感のようなものを抱く。

 

リサーチの現状報告で、それを話す作家は、実に淡々としていた。

私は話を聞きながら、映画の冒頭シーンのような状況に出くわして、特段興奮もせずに落ち着いて話す彼に感心していた。

 

それから、作家は調査を開始し、少しずつ坑夫像の身の上を調べ上げていった。

その過程は、謎が解明されていく推理小説のようで。

私は興奮を抑えきれなかったが、対照的に彼は常に一定の調子で、ひょうひょうとして映った。

 

同行者として、補助作業に従事することで知る坑夫像は、制作された時代背景、制作経緯、そもそもの造形美、どれをとっても知るほどに面白く、惹きつけられ、またそれが間もなく、失われる寂しさを同時に抱くこととなった。

 

一番それを感じていて、おかしくない作家自身は、常に問題を現実的に捉えていた。専門的に彫刻を学んだ彼だからこそ、コンクリート素材で制作された彫刻の保存、移動の難しさを理解しており、そこを前提に作品と向き合い、制作へと取り組んでいたのだろう。

 

人は失われるものに対して、思い入れを過分に持ちがちだ。

しかしそこに、固執をしてしまうことは、新たな可能性を持たないという選択へと繋がりもする。社会で起きている出来事、それに直面した際、自分の中の感覚や感情に飲まれず、一定の距離を保ち、客観的に考察する。

そうすることによって、鑑賞者にも、物事の多様性を伝えられる作品が生まれる。

友定睦は、そのことを非常によく理解している作家のように見えた。

丁寧なリサーチを終えて、彼がAir motomotoで提示した作品は、背景の異なる絵や音、映像を重ね、複数の視点を併せ持たせたインスタレーションだった。

作品は訪問者に、自分のいる街が持つ多面性を静かに伝えていた。

 

友定氏は、当施設が最初に迎えた日本人アーティストであり、丹念なリサーチをベースに制作に取り組んだ作家だった。作品と真摯に向き合う本作家の作業に立ち会えた事を、同行者として心から幸運に思う。

 

MIYAMOTO Hanako

( motomoto Director )

ご報告

友定睦のリサーチ対象の、1つである大牟田市延命公園内の撤去予定だった炭坑夫の像は、2022年1月下旬に、大牟田市石炭産業科学館の敷地に運ばれ、現在新たな台座の用意が進んでおり、公開日は未定とのことですが移設されます。

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